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弁護士コラム

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歴史・不動産・土地境界

戦後70年~焦土と化した東京

境界調査の現場で聴いた大空襲の記憶と、戦災復興区画整理

2015.08.11

戦後70年ということで、あちこちで戦争に関する情報に触れる機会が増えています。憲法が制定されるに至った経緯についても多方面で紹介されています。

そんな折、思わぬところで、当時の話に触れることができました。とある事件にて、ひととおり土地境界の現場調査や打ち合わせが終わった直後、お茶を飲んでいる最中、関係者の方から東京大空襲に遭遇した際の話を聴かせてもらえました。

それというのも、東京大空襲により焼け野原になったために、土地の使用形態に関する外観が全てリセットされてしまったこととの関連において、そのような話に展開したというものでした。

【当事者の語る強烈な記憶】
彼は、地方から東京に戻ろうと一路東京に来た直後に大空襲に遭遇した。坂の下の建物の一群が焼けずに無事なのを見て一瞬安堵したが、坂の上にのぼると辺り一面は焼け野原。障害物がもはやないために、平時には見えなかった富士山が見えたという。

上野の防空壕で凌いだ後、親戚のいる千葉方面を目指したが、下町の被害は凄まじかった。道端には死体がごろごろと転がり、まともには歩けない。電車の線路に沿って歩き、隅田川を渡る際には、川の中にあたり一面、死体が浮いている壮絶な光景を目の当たりにした……。

昭和20年3月10日の東京大空襲での死者数は10万人に達するといわれています。これは長崎の原爆死者数を上回り、広島と同程度という規模です。

不動産登記と戦災復興

焼け野原になった東京都内の各所において、その後、土地区画整理が実施されました。不動産の古い登記簿資料を紐解くと、昭和20年3月10日から比較的間もない時期に実施されている土地区画整理のほとんどは、この東京大空襲と密接に関連しているものと考えられます。

現在の境界紛争や土地の形質を調査する際、こうした歴史的背景を理解しておくことは、資料の行間を読むために極めて重要です。お茶の席で伺った生々しい体験談は、図面や登記簿の裏側にある重い歴史を改めて深く認識させるものでした。